葛西で子育てしています。

2歳の娘を育てています。江戸川区葛西に移り住んで12年。

ねーちょねーちょ娘ちゃん

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こんにちは、ケンです。

娘の乳児期を振り返るお話、指しゃぶり編。

娘が指しゃぶりならぬ手しゃぶりを始めて数ヶ月。

口の周りが必然的によだれまみれになります。

そんな娘を歌った歌がこちら↓

ねーちょねーちょ娘ちゃん♪

ねーちょねーちょ娘ちゃん♪

 

無限にループできるのかこの歌のいいところです。
抱っこしてこの歌を歌いながら娘が寝付くまで部屋を歩き回る、徘徊します。

また部屋にこだまするチュパチュパ音は、娘のサインです。
様々なしゃぶりケースをご紹介しましょう。

 

①不安な時

ゆっくりと対象物から目線を逸らし、おもむろに口に手を持ってきます。
初めましての人に会った時や、慣れてない人に会うと高確率です。
全く見ようとしません、無心で手をチュパチュパして嵐が過ぎるのを待ちます。
少し慣れるとチラッと対象物をチェックするように。
ツンデレ

②暇な時

大人でもあります、暇な時。
そんな隙間時間を埋めてくれるのが、手しゃぶりです。
指や手で口の中の感触を楽しみながらの暇つぶしです。

あと哺乳瓶をイヤイヤしているときに気づいたのですが、どうやら歯茎を触られるのが好きらしい。
哺乳瓶の先で歯茎をサワサワしてあげると満面の笑みになります。


また口に入れた指を奥まで攻めすぎてオエってなる。
何事!?ってなる。

そして嘔吐恐怖症の奥さんに睨まれます。
それを無かったことしようと工作する私。
まだ加減がわからないのです。

 

③お腹が空いた時


こちら準備中(ミルク作ってる、奥さん授乳の体勢を整える)でも容赦しません。
手をしゃぶりながらうーうーと唸ってきます。
手を吸うとしゃべるを同時に行うので、苦しそうにも見える。
とりあえず落ち着いて下さいとお願いしております。
お客様ー!!的な。

 

拳→複数指→人差し指と娘のしゃぶり道は進化してきました。
最近は指笛タイプに。
動物でも呼ぶのかな?

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おしまい。

奥さんの妊娠期間中に保湿マイスターになった話

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こんにちは、ケンです。

奥さんの妊娠中の思い出を振り返るお話。

 

奥さんの妊娠が分かったのは、緊急事態宣言で予定していた挙式が延期になってからでした。

子供は前から計画しており、冗談で近い未来子供に

「コロナっていうのがあって、結婚式が延期になったの。そんな時に君がお母ちゃんのお腹の中にいるのがわかったのさ〜」

とかなったら面白いね〜と言っていました。

 

そして本当にそうなった....


①保湿マイスターを目指して


お腹が大きくなることで起こる皮膚の内側の肉割れ、妊娠線を防ぐための保湿ケアが必要と奥さんに教えてもらいました。そんなケアも必要になってくるのね、ほぅーと。
そういえば子供の頃の記憶ですが、母上にもそんな跡があったような。
ケアすれば妊娠線が出来なくて済むかもしれないのであれば、やった方がいいねと早速オイルを買いました。

 

それから妊娠約5ヶ月目以降、オイルを毎晩私が塗りました。
奥さんにお願いされたので、大義に殉ずる気持ちで行いました。

初めは少し丸みが出てきたお腹付近を満遍なく塗る作業。その作業も胎動が外からでもわかり始めると、赤ちゃんとのコミュニケーションとなりました。

塗りながらお話してリアクションがなく、無視されたり。
しつこくお腹をタンタン叩いて、どん!!と強めの胎動で怒られたり。
民族の儀式みたいな歌を歌いながらぐるぐるとお腹にオイルを塗って、奥さんにやめてと言われたり。妊娠後期になるとどっちが足側で、どっちが頭側かわかるようにも。

頭側をオイルを塗るついでに撫で回していたら、奥に引っ込まれたり(逃げられた)

保湿して120〜日間。
保湿マイスターとして奥さんのお腹などに妊娠線ができないように塗り続けました。


②そして迎えた臨月

お腹はパンパンになっても、妊娠線を作ることなくその時を待つばかりとなりました。
私は保湿マイスターとしての仕事をやり切ったのです。

 

娘は帝王切開で生まれました。

 

奥さんと娘の安全が第一です。
私の保湿マイスターとしての日々は、手術跡に敗れ去りました。

手術跡は完治するのにまだ時間がかかるでしょう。
世の中のお母さんたちで、その跡を悩んでいる方もいらっしゃると思います。

私にとってその手術跡は、奥さんが身体を張って娘を連れてきてくれた証です。

ありがとう。

 

③余談

 

手術後がやはり気になり、テープで後を固定して治りを早くするものなどを買ってみました。ですが「かゆくなる」で仕様終了。

妻の性格もあってか、最近は当初ほど気にしていない様子です。

適度にタイミングをみて、いま手術後をどう思うかは聞いていこうと思います。

 

 

おしまい。

※奥さんは幸いな事に酷いつわりや入院するほどの体調不良もなく無事に出産を終えました。なので奥さん自身も楽しい思い出と話しております。いま妊娠中の奥様がいらっしゃる旦那様はできる最大限のケアと理解を。

なんとかなる

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こんにちは、ケンです。

娘の新生児期を振り返る、リバース編。

妻は嘔吐恐怖症の気があります。
診断してもらったわけではないのですが、おそらく。そしていま新生児を子育て中の皆さま、その時期を終えられた先輩たちならご存知かと思われますが

新生児ってまぁ吐くよね・・・・

 

白目と同じく未発達な消化器官のために起こります。

 

幸か不幸か吐くのが当たり前くらいの新生児と、嘔吐恐怖症の妻。母乳では吐くことがあまりなく、ミルクで吐くことが多々。私が家にいる間はミルク担当になり、不在時は恐る恐る妻がミルクをあげてなんとか凌いでいました。

 

まだどうやって2人で育児をしていこう?と試行錯誤している段階で妻が夜娘をみて、日中を出来るだけ仮眠。


私が仕事から帰ってきて、家事やご飯を作って奥さにまた仮眠してもらう。などなどこうした方がいいんじゃないか?と2人で話し合いながら行っていました。

 

私の仕事がバタバタした日。
奥さんも仮眠が取れず疲れも溜まっていた日。
娘も1日ぐずぐずの日。

3人のタイミングが悪く重なってしまった真夜中。

眠れない、お腹すいたがぐっちゃぐちゃに
なり泣き叫ぶ娘。
不甲斐なさに泣く妻。
日中の忙しさで頭が回らない私。

 

全然大丈夫な状況ではありません。
けどなんとかなるもんです。
そのなんとかのほとんどは妻のおかげです。

しばらくして娘はミルクを飲み落ち着いてくれて、3人で泣きながら寝落ちるのでした。

それから娘は4ヶ月であまり吐かなくなりました。
なんならミルクイヤイヤ期に入り、私がミルクをあげることもできませんでした。泣く。

なんなら咳き込んで自分で対処できるようなっていました。泣く。

 

現在我が家では嘔吐のネガティブイメージをなくすために、吐く、嘔吐などの言葉は使わず、キラキラ、キラキラしたと表現しております。

 

おしまい。

「葛西健康サポートセンター子育てひろば」デビューはいつだった?

こんにちは、ケンです。

初めて子育て広場を利用したのは娘が6,7ヶ月の頃でした。

我が家はハイハイ位できないと面白くないだろ?と思っていたので、ハイハイができるようになった頃に思い切って行ってみたのが始まりです。

 

・施設の紹介も含めた雑感

(健康サポートセンター子育てひろば) 

・利用してみての個人的感想

 

今回はこの二つのお話です。

 

〇施設詳細

健康サポートセンター子育てひろばは建物の2階にあります。入口左手にベビーカー置き場があり、複数の台数がおけます。

 

女性トイレはひろば内にありますが、男性トイレは外のそのフロアのトイレを利用することになります。なのでお父さんは先に済ませるか、職員さんに一瞬お子さんをみてもらいましょう。

ちなみにおむつ替えスペース、子供用トイレ、授乳室もひろば内の左手にあります。

 

広さは20畳くらいでしょうか(筆者体感)

・右手に絵本とおもちゃ中心のスペース、

・左手が体を動かせるスペース(坂道があったりする)

に分かれています。

 

ハイハイ~歩きたてくらいのお子さんには十分な広さがあると思いました。ただ広くて危なくないところで存分に歩かせたくて通っていた時期もあります。現在2歳の娘は飽きてしまうと外の方に裸足で行ってしまいますが...

 

 

床暖房がついているので冬場でも床は冷たくありません。任意ですがお子さんは裸足でいることを体の成長&事故防止観点から伝えられます。

 

飲食は飲み物のみ可です(荷物置き場ロッカー付近で飲ませること)

0歳児のみ利用できる時間と曜日もあります(現在は水曜日の9~12時)

 

※コロナによる利用について

人数制限があるので、満員だと職員さんに「もしよければ~時くらいにまた来てください」と言われます(大体30分前後でした)

利用時間に混雑時は1時間前後ですが、空いていれば次の消毒の時間までいられます。

 

詳しくは↓

https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/7178/kasaisapo10.pdf

 

 

〇入室後の手続き

名前など必要事項を記入用紙に書きます。

 

お名前シールがあるので子供の名前と月齢を書いて子供の背中などに貼ります。シールあるとコミュニケーションのきっかけにやっぱりなりました。

「~ちゃん~ヶ月でこんなにハイハイできるんですね!」とか。

 

初回だと職員さんが初めて利用するにあたってを説明してくれます。二回目から必要事項の記入を用紙にするのみ。

 

あとはお子さんと好きに遊ぶだけです!

1時間に1回ほど手遊びの歌を職員さんが流してくれるので、それをみんなでやったりします。

 

 

〇利用してみての個人的感想

 

私が主に利用していた午前中~13時までの施設で感じたことです。利用者で小さい子は生後2か月、大きな子で4歳くらいでした。生後2か月からでも連れてきているお母さんを見て、もっと小さいころから連れてくればよかったと思います。

 

娘はハイハイ爆走時期くらいまで、あまり人見知りをしなかったので色々なお母さんに突撃しては構ってもらえて嬉しそうでした。

このご時世ですが、誰かとのふれあいが必要と思うお母さんは少なくないみたい。

 

自分の子供より月齢、年齢が大きければ参考になるし、小さければ少し昔を懐かしむこともできるます。~ヶ月であんなことができるようになるのかーとか、そういえばあれくらいの時にあんな事していたなーとか。

 

 

大体同じ曜日、時間にいくと顔見知りになれたりします。いまでもそのころに何回かお会いしたお母さん達に町で会うと少しお話する(病院だったりスーパーだったり)お互いの子供の成長を見て、しみじみしたり。

 

 

職員さんによって子供との距離感がまちまちなので、まめに声掛けしてくれる方や、少し離れたところから様子をみている方、ぐいぐいコミュニケーションをとってくれる方と様々。

 

みなさん育児の質問には答えてくれたり、抱っこ紐の後ろを止めてくれたり、荷物を少し持ってくれたりとサポートは手厚いと感じました。

まだ抱っこ紐に慣れていなときに、先に抱っこして固定してしまい、靴下がうまく履かせられない。。。と思ったときに「お父さん履かせちゃうよー?」と代わりに履かせてくれました。ありがたい。

 

個人的感想&雑感でしたが、今後皆さんが子育て広場を利用するときの参考にしていただければ幸いです。

 

おしまい。

 

げっぷ、全然させられない

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こんにちは、ケンです。

新生児期の娘を振り返る話、げっぷ編。

 

新生児期間いろんなことがありましたが、第一の関門がげっぷをさせるでした。

げっぷ、全然させられない.....

 

 

まず、げっぷのさせ方

肩に頭を乗せてあげたり、手で顔と胸元を支えてあげてやるなど色々あります。肩に頭を乗せようとしたところ、娘の体の大きさをいまいち把握しておらず首をグラングランさせ冷や汗をかきました。

手に顔を乗せるやり方で慣れてきた頃。

 

いつまでたってもげっぷしない

なんなら私の手に乗せた頭で遊び始める。
可愛い。体をくねらせるのもげっぷがしたくて体を動かしてるのか、遊んでいるのかも分からず。
可愛い。

けどげっぷはできていないのです。
任務は遂行されていないのです。
娘よー。

 

げっぷせずに寝る

なんなら寝やすい角度に自分で頭を私の手に乗せ直して寝る。お腹いっぱいなのはわかる。

そんな顔を写真に撮りたくて、体の限界いっぱいまで無理をさせてベストショットを探したり。
いやげっぷさせろやと。

そんな娘の背中をトントンしながらできた曲は
げっぷ、げっぷー、やる気なし〜♪
げっぷ、げっぷー、やる気なし〜♪

お願いだからげっぷをしておくれ・・・

 


そんな風に嘆いていたのも懐かしく思います。

おしまい。

家族が増えた瞬間、娘の出産。

 

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こんにちは、ケンです。

1番初めに書こうと思った娘の出産のお話。

 

コロナ禍で娘が生まれました。
帝王切開が急遽決まり、先生のスケジュールの関係で即入院、即手術でした。

生まれてからも退院まで直接の面会は禁止。

写真やテレビ電話などで姿や声は確認できても、どこか埋められない何かを感じていました。
実感メーターがマックス100なら70くらいだったのでしょうか・・・

自分が男だからなのか、実際に会えないからなのか、もやもやの正体は掴めず。


特に世の中のお父さん達はいつ自分が父親になった、もしくは子供が生まれたんだなと感じましたか?
実感メーター100になったのは自分でも驚く事でした。

 

住民票。

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住民票に私、妻、娘の名前が並んでいるのを見た瞬間に涙がでました。

 

同じ書類系でいうと妻との入籍、婚姻届そのものを特別には感じませんでした。
妻という人間をそばで感じていた期間があるから。
その積み重ねが私にとっての結婚の証だったのだと思います。

出生に関わる手続きをしたときはまだ2人が退院前だったので、実際には会えていません。
なので娘がこの世に存在している事が社会的に認められた事が私にとっての実感メーターマックスでした。

ちなみに2人の退院の日

「会社を出る前から既に走っていた」

と上司が後日コメントしていた通りなんとか仕事に区切りをつけて、走って帰りました。

妹にはなんで走ってきたの?と言われる・・・
先に妻に1人で乗り切ってくれた事に感謝を伝え、初めて娘を抱っこした時にはこう思いました。

 

「おかえりなさい、初めましておとーちゃんです」



実感メーターは1万くらいだったんじゃないでしょうか?

 

おしまい。